今から10年くらい前の話になります。僕は外科医として地方の病院で四六時中働いていましたが、当時は良き指導者に恵まれなかったため、手術手技の技術向上という点で行き詰まった感がありました。大学を卒業して何年にもなるのに、いつまでたっても上司に手術を独り占めされていました。外科医になった以上、手術をしたいのはみんな同じ気持ちなのですが、その上司には「まだお前には早いよ」といつも言われ続け、部下である僕を育てる気なんて全くなさそうな感じだったのです。ちなみのこの上司からは壮絶なパワハラを受けていて、以前の記事「ク◯上司に最大級の仕返しをするならば」でも紹介してるので、ご興味があれば読んでみてください。
そんな日々に嫌気が差してきた頃に、幸運にも”手術の達人”と呼ばれる先生と知り合うことができました。まだ若かった僕は、自分自身の外科医としてのスキルアップのために、その先生が勤めている病院へ移籍することを決意したのです。今思い出しても「チャンスの神様の前髪をつかむ」というのは、ああいうことを言うんだなあってつくづく思います。新天地には、家族全員で引っ越しすることにしました。最初は期間限定で単身赴任も考えましたが、やっぱり家庭があっての仕事なので、かなりのお金がかかりましたが、家族全員での引っ越しを決断しました。結果的には家族みんなで”かけがえのない経験”をすることができたので、その決断で良かったと思っています。
新天地の病院には”手術の達人”に学ぶために、全国から大勢の若手の医師が集まっていました。僕のような新参者もいれば、何年も前から弟子になっているような古株の先生も何人かいました。その”手術の達人”をトップとして手術チームができていましたが、その中にもやはりヒエラルキーのようなものはありました。長年、達人の元で修行してきた先生たちは上層部にいて、僕のような新参者は必然的に下の層に振り分けられます。どれくらいそこで修行をしてきたかによって序列が決まってくるため、必然的に「歳下」だけど「上司」になる先生も存在することになります。
僕の直属の上司となったD先生は、僕よりもずっと歳下でした。D先生は大学を卒業してすぐに”達人先生”の門下生になったようです。卒業と同時に大学病院を”脱藩”し、自らの意志でその道を選んだとのこと。「部下だけど歳上」という複雑な関係の僕に対して偉そうにすることは一切なくて、とても優しく丁寧な言葉でいつも話をしてくれました。そんないつもは優しいD先生ですが、手術の前のカンファレンスや、学会発表の予行の時には、年齢や上下関係など一切関係なく、ズバズバと厳しい意見を相手にぶつけていました。時には歳上の先生から煙たがられるようなシーンもありましたが、そんなことは意に介せずといった感じで、飄々と自分の仕事に打ち込んでいました。
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毎日が新しいことばかりで、覚えることや勉強することが山ほどありました。毎日深夜12時過ぎまで全力で仕事をしていましたが、終わりの見えない日もよくありました。朝まで働いて、そのまま次の日の仕事なんてこともよくありました。くたくたになりながらも毎日の仕事はとても充実していました。そんな僕の姿をずっと見続けていたD先生が、ある日の夜の飲み会の席で、こんなことを僕に言ってきたのです。
「ぐるぐるねこ男先生って、この病院に来てからすごく仕事頑張っているけど、ちょっと気になっていることがあるんです」
少しお酒の入ったD先生からの突然の言葉に僕は驚きました。普段はそんな事を言うようなキャラではないのに、お酒が入ったせいか、言いたかったけどずっと言えなかったことを、この場を借りて「あらためて言わせてもらう」といった雰囲気で僕の顔を凝視してきたのです。僕は何かやらかしたかな…と少し不安になりましたが、D先生は、僕の働き方を見ていると”過去の自分”を思い出すとのことでした。D先生は過去の自分の(どちらかと言うと苦い)経験から、「新天地で新しいことを始める時の大切なこと」について、歳上だけど部下である僕に直接伝えたいと言う申し出だったのです。その時にD先生に教えてもらったことは、以下のことでした。
<新天地で新しいことを始める時の大切なこと>
① まずやりたい事を書き並べる
② 次にやりたい事の優先順位をつける
③ それぞれに時間を割り当てる
④ 最後に、そのやりたい事以外の事は何もしないと決める
達人の元で手術の修行を始めた頃のD先生も、あの時の僕のように何から何まで全ての仕事を片っ端から全力でこなしていたようです。「あの時、優先順位をつけて仕事をすればよかったなあって、今更ながらすごく後悔しているんです」と言って、手に持ったお猪口の中の日本酒をグイッと飲み干しました。僕が全ての仕事を片っ端から(不器用に…)こなしていたのを見ていてそう思ったのだと思います。D先生は僕よりもずっと歳下ですが、手術の腕前は僕なんかよりもずっと上でした。そんなD先生も手術の修行を始めた頃は日々の雑務に追われてしまい、自分が一番すべきことに集中できなかったのかもしれません。そんな苦い経験から、部下である(歳上の)僕に対してアドバイスをしてくれたD先生には、今でもすごく感謝しています。
自分のコンフォートゾーンの中だけで、のんびりと生活するのもよいのですが、たまにはストレスを感じるようなビリビリとした環境で生きていくことも必要なのかもしれません。そんな環境下でしかできないような貴重な経験や、レベルの高い人との出会いって絶対にあるはずです。自分よりもレベルの低い人と付き合って優越感に浸るよりも、自分なんかと比べてずっとレベルの高い人の背中を追いかけながら生きていく方が、自分自身の成長につながります。僕は達人の先生やD先生に厳しく指導を受けながら、必死になって自分の手術に磨きをかけました。そんな僕の姿を見てくれていた病院専属のソーシャルワーカーの男性が、僕にこんな言葉をかけてくれました。
「ぐるぐるねこ男先生の価値って、自分自身で決めるものじゃなくて、まわりの人間が決めるものですよ。先生はオペが上手くなることだけ考えて下さい。俺は先生が治せなかった人を何とかします」
僕は手術に失敗したことなんて一度もありません。手術を受ける患者さんのためだけではなく、僕たち外科医のサポートをしてくれるコメディカルのスタッフのみんなのためにも、100%の結果を出せるようにいつも全力で取り組んできました。僕は今、手術をする医者を引退し、田舎の病院で地域医療に取り組んでいる身ではありますが、その時に学んだことは今でも大切にしています。世の中にはとんでもなく手術が下手で、以前の記事「世に出してはならないレベルの医者」でも紹介したように失敗ばかりしている先生も実際にいます。やっぱり外科手術をする医者は、「何があっても絶対にこの患者さんの病気を治すんだ」という”強い気持ち”や”根性”が必要じゃないかと思います。僕は歳下のD先生から多くの事を学ぶことができました。僕の大好きな言葉ですが「我以外皆師」って本当ですね^ ^
それではまた^ ^