久しぶりの三連休でした。外に出ても暑いだけ(外気温:35℃)だし、どこへ出かけても人が多いだけなので、僕はずっと家の中でこの三連休を過ごしました。とは言っても毎朝のルーチンは欠かすことはありませんでした。朝5時に目が覚めると、そのままいつもの山道に散歩へ出かけます。最近は蚊が飛ぶようになってきたので、虫除けスプレーは欠かせませんが、早朝で木陰がずっと続く道なので、日焼け止めを塗る必要はありません。Podcastで英語の勉強をしながら、朝の有酸素運動を1時間くらかけて行います。帰ったらすぐに冷たいシャワーを浴びて、お気に入りのKONITZのマグカップにコーヒーを注ぎ、奥さんが作ってくれたサンドイッチとキシリトールガムのボトルを持って、リビングのソファーの上にゴロンと寝転ぶのです。
この三連休を振り返ってみると、僕はずっとこの生活パターンで過ごし、そしてずっとこのリビングのソファーの上で一日の大半を過ごしてきたようです。横になってコーヒーを啜り、パンくずを落とさないように上手にサンドイッチを食べて、本を読みながらキシリトールガムを噛んでいました。ソファーというものは大変便利なもので、背もたれや肘掛けのところに頭や腕を固定すると、色んな方向に体を向けながら好きな体勢で本を(楽に)読むことができるのです。我が家はセキスイハイムなのですが、とても機密性に優れていて、10分ほどエアコンを入れれば1時間くらいはエアコン無しでも十分涼しく過ごすことができます。そして、ずっとソファーの上で過ごしていると、なんだか自分が太平洋の真ん中に浮かぶ小さな島の上にいるような気分になってきました。リビングという大海原の中にポツンと浮かぶ小さなソファー島。僕はその小さな島の上で三日間に渡り、本だけを読んで過ごしたのです。そして大海原からは海獣(=ぐるぐるねこ)が時々やってきて、しばらく僕の側で眠り、お腹が空けば餌を求めて再び大海原へと帰っていきました。
結局のところ、この三連休で村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を全巻読んでしまいました。”ねじまき鳥”を読むのはこれで2回目になりますが、本当によくできた小説だなあって感心させられます。満州からシベリア抑留といった史実を絡めながら、現実離れした精神世界の話をモザイク状に絡め、登場人物の普段の日常の中に心地よく導いてくれるようなストーリー展開は天才的としか思えません。朝から読み始め、気がつけば夕方という三日間でしたが、お金もかけずに最高の連休を過ごせたなあという充実感しか残りませんでした。以前はこのような生産性の無い休日を過ごすことに対して危機感を感じていましたが、最近は「まあこんな休日があってもいいだろう」って思うようになりました。不思議なものですね。さて、この『ねじまき鳥クロニクル』ですが、最後のところにこんな文章がありました。
どこかからナイフがやってきた。それはセーターの襟元を勢いよく切った。僕はその刃先の動きを喉に感じた。
『ねじまき鳥クロニクル・第3部・鳥刺し男編』より
これから『ねじまき鳥クロニクル』を読む人には完全にネタバレになってしまうので、前後の状況を詳しく書くことは控えさせていただきますが、いずれにせよ「喉元にナイフの刃先を感じる」シーンの描写です。僕はこの部分を読んで、ある救急患者さんのこと(やっと本題に入ります)を思い出しました。その患者さんは60代の男性でした。自分の喉にナイフを突き刺して大怪我をしたということで救急要請があったのです。救急隊からの電話があったのが夜の10時くらいでした。第一報を受けてその時に思ったことは「こんな夜中にいいおじさんが、一体何やってんだよ…やれやれ」だったと記憶しています。
喉にナイフを刺したといっても驚くことはありませんでした。なぜなら僕は呼吸の悪い患者さんの気管切開手術を多く手がけていたため、喉にメスを入れる(このおじさんはナイフでしたが)ことなんて日常茶飯事でした。気管支やその周辺の血管、神経の位置関係も全てわかっていたので、どんな傷でも治療する自信がありました。でも「なんでこんな夜中に自分の喉にナイフを突き刺したんだろう?」という疑問が、その患者さんを受け入れた一番の理由だったかのもしれません。結局のところ、ナイフは気管を貫通することなく、周りの大事な血管も傷ついていなかったので、表面の傷の処置だけで済みました。そしてなぜそんなこと(夜中に自分の喉にナイフを突き刺す)をしたのかと、平静を取り戻した患者さんに聞いたこところ、こんな答えが返ってきました。
「自治会の会長を押し付けられてしまい、それが嫌で死のうと思いました」
聞けば住民が数十人しかいないような小さな村で、村民の選挙によってその人が二期連続の自治会長に選ばれてしまったとのことです。前回、初めて自治会長をしたときに、とても面倒臭い村人の対応に参ってしまっていたようで、あんな面倒臭いことに二度と巻き込まれたくないって思っていた矢先に、自治会長に再選してしまい、自治会長をするくらいなら死んでしまった方がマシだと思ったようです。たった数十人の村に自治会なんて必要なのか?という問題は横に置いておいて、最近、全国各地で自治会という組織に対して「不必要論」が持ち上がっています。今と昔では時代が違うし、そもそも夫婦共働きや母子家庭の家の人が、自治会の行事や集会に参加すること自体難しく、自治会の役員なんかに選ばれてしまった日には「自分に関係のない」ことや「ややこしい人」に絡まれてしまうという災難が降りかかってくることになります。僕自身の話になりますが、以前の記事「”悪しき慣習”からは距離を置くようにする」でも紹介した通り、今年から地元の自治会を脱会することにしました。今のところ(おそらくこれからも)困ったことはありませんが、今後やってくる自治会の役員や行事に関わる必要がないって思うだけで、以前よりもずっと気楽で幸せに生活を送ることができています。
自分の喉にナイフを突き刺して救急搬送されてきたおじさんに対して、当時は的確な言葉をかけてあげることができませんでしたが、今なら「自治会なんてやめちゃったらどうですか?僕も最近やめましたけど、何も困ってませんよ。やりたい人がやればいいんですよ。今はそんな時代じゃありませんから。自治会ごときで死んじゃうなんて、勿体なさすぎますよ」って声をかけてあげるかもしれません。いずれにせよ、三連休中ずっとソファーの上で『ねじまき鳥クロニクル』を読んでいて、最後の最後に行き着いたところがそんなどうでもいい過去の話でした。暑い中、高速道路で渋滞に巻き込まれて、人混みの中で行列を作り、割高のサービスを買うような連休も「これぞ日本の連休!」といった感じで悪くはありませんが、他の人とは違った時間軸で、お金をかけずにのんびり過ごすのも悪くはないってことを言いたいだけです。
それではまた^ ^