🌀ぐるぐるねこ男ブログ🌀

ぐるぐるねこと一緒に暮らしている男の雑記ブログです(月・木曜日に更新)

【今週のお題】わたしラグビー部でした

ぐるぐるねこ男

 

今週のお題「わたし○○部でした」

久しぶりに”今週のお題”に乗ってみることにしました。僕は高校時代、ラグビー部でした。子供の頃からラグビーなんて一度もしたことがありませんでしたが、中学の時の体育の先生(日体大ラグビー部出身)に「ラグビーはいいぞ!絶対にお前もやるべきだ!」と強く勧められたこともあり、ラグビー部のある高校に合格できた時は迷わず入部しました。

 

僕が通っていた高校は自転車で1時間もかかる場所にありました。県立の普通科高校で、3年に一人くらい東大合格者が出るかな〜というレベルの普通の高校でした。部活動もそれほど熱心ではなくて、朝1時間と放課後1時間しか練習時間がありませんでした。僕が入部したラグビー部ですが、県大会ではいつも初戦敗退の弱小チームだったのです。

 

僕が入部した年、ラグビー部に新しい顧問の先生がやってきました。某国立大学でラグビー部に所属していた経験がある頭脳派の先生でした。その先生から「まずは、君らの学年だけで必ず15人の部員を集めなさい」という最初の司令があり、最初に入部した数人の同級生で勧誘活動を始めたのです。ラグビー経験者は一人もいませんでしたが、中学生の頃に野球やバスケットボール、サッカーなどで活躍した経歴を持つ部員の勧誘に成功しました。演劇部や帰宅部(部活か?)の同級生もいましたが、水泳部出身の僕を含めて何とか15人揃えることができたのです。

 

その即席で集めた15人の部員を中心に、高校3年の春まで一緒に楕円球を追いかけて走り続けました。雨の日は泥だらけになりながらタックルの練習をしました。学校の階段を手すりがなければ昇り降りできないくらいスクワットで太ももをいじめました。体には生傷が絶えることはありませんでした。左手の小指を脱臼したこともあるし、脳震盪を起こして気が付いたら空が見えていた日もありました。

 

そして、万年一回戦負けの弱小ラグビーチームがその後どうなったか?

 

僕たちは同級生15人を中心に最高のチームを作りあげ、高校3年生の春の県大会決勝で、当時3年間無敗だった最強の工業高校を破って優勝することができました。”最高”のチームが”最強”のチームに勝ったのです。歓喜の瞬間は今思い出しても心の底から魂が震えるような最高の瞬間でした。監督もマネージャーも、みんなで思いっきりグランドで泣きました。相手チームのキャプテンに「君らは強かった」と声をかけられた僕は、涙が枯れるまでグランドで泣きました。

 

 

 

***

<エピローグ>

その試合を最後に僕たち3年生は引退しました。そのまま秋の全国大会予選まで続ければ、花園出場は確実と言われるくらいのメンバーだったのですが、普通科高校で大学受験の勉強を優先しなければならなかったので、みんな引退しました。僕は県選抜の候補に選ばれましたが、辞退しました。それでよかったのかはわかりませんが、人生は選択の連続だなと思いました。

あの時ラグビー部に入ったからこそ今の自分があるし、あの時ラグビーを辞めたからこそ今の自分があります。大学生になってからもラグビーを続けましたが、チームメイトの一人が試合中の事故で亡くなりました。また、高校ラグビー時代の後輩が、練習中の事故で頸髄損傷を起こし、体にひどい障害が残りました。いろんな人と出会い、いろんなチームと試合をし、いろんなことを経験しました。ラグビーを通じて学んだことは本当にたくさんあります。

中学生の頃に「ラグビーはいいぞ!絶対にお前もやるべきだ!」と勧めてくれて先生には感謝しています。ラグビーをやっててよかったです^ ^

 

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それではまた^ ^