🌀ぐるぐるねこ男ブログ🌀

ぐるぐるねこと一緒に暮らしている男の雑記ブログです(月・木曜日に更新)

失敗から学ぶ(ヤクザな担任教師が再登場します)

ぐるぐるねこ男

 

このブログもそうかもしれませんが、自分の人生論を他の人に押しつけすぎて、相手を不快にしてしまうことってよくある話です。特に「自分はこうやったから上手くいったんだ」というプチ成功体験を持っている人が「だから君たちも僕のようにこうすればいいんだよ」といった感じの押し付けがましい人生論を目の前で展開されてしまうと、正直うんざりすることがあります。あんたの暑苦しい人生論なんてこれっぽっちも求めていないし、そもそも誰よりも成功したいなんてこれっぽっちも思っていないし、今日が楽しければそれでいいじゃん!というのが多くの人の本音かもしれません。

 

連休中になぜそんなことを急に思うようになったのかというと、うちの子供のある一言がきっかけになりました。自分の子には、やはりある程度人生で成功してほしいと思っているので、それなりに「自分の人生論」みたいなことを語ってきました。というよりは、怠惰なうちの子を前にしてボーッと傍観している僕の横で、うちの奥さんが「お父さんはね、子供の頃は◯◯だったのに、自分で◯◯してこんなに立派になったんだよ!」みたいな僕の人生論を語ってくれるのです。孔子(=僕)の教えをその弟子(=うちの奥さん)が一般市民(=うちの子)に教えるみたいな構図ですが、残念ながらうちの子には全く響かないことが多いです。そんなうちの子が先日こんな風に僕に尋ねてきました。

 

「父さんって失敗したことあるの?」

 

もちろんこんな僕なので、成功よりも失敗したことの方が圧倒的に多いと思います。しかしその時、全力で過去の記憶をたどってみたのですが、失敗したことをすぐに思い出せませんでした。基本的にポジティブシンキングマンなので、自分が失敗したことは記憶の忘却の彼方に推しやって消し去ってしまう習性を備えているのかもしれません。なんとか思い出したことは大学受験を失敗したことでした。でもそれは目標に向かって努力した結果であり、失敗というよりはチャレンジの途中であったため、うちの子が求めているいわゆるガチの「失敗」ではないと判断しました。

 

そこからずっと過去に記憶をたどっていると(この間10秒くらい)小学生の頃の文化祭でのワンシーンを思い出すことができました。そうだ、あの失敗があった!と。それがどんな失敗談だったかというと、小学校4年生の時の文化祭で各クラスごとに演劇をするのですが、僕は図工が得意だったので舞台での小物作りを担当していました。もちろん文化祭の当日は何もすることがなく、舞台の設定を手伝った後は舞台脇で出演するクラスメートのサポートをするという役割くらいでした。しかしその文化祭当日の朝、ホームルームで担任の先生から衝撃の発言がありました。

 

「神様の役をする◯◯君が体調不良で休むことになった。代わりにぐるぐるねこ男君にしてもらうことにする。いいな?」

 

は?何言ってんの?今からあの長ったらしいセリフを覚えれるわけないじゃん!って心の中で思いましたが、以前の記事「ヤクザな担任教師の話」でも紹介したことのあるヤクザな担任の先生だったので、恐ろしくて僕はすぐに「は、は、はぁい!今から頑張ってセリフを覚えますぅ…けどうそぉマジっすか…と返答してしまいました。そこからが地獄でした。文化祭の劇が始まるまであと30分くらいしかなくて、僕は渡された台本の神様役のセリフの部分を必死になって覚え始めたのでした。そして担任の先生は、

 

「ぐるぐるねこ男君が今から神様のセリフを覚えるんだから、お前ら全員絶対に静かにしてろよ!」

 

と他のクラスメイトに命令を下したのでした。シーンと静まり返る教室の中で僕は必死になって台本に集中し、長ったらしい神様役のセリフを頭に叩き込む作業に集中しました。その記憶の作業の合間に「なんで僕なんだょぉ…」という疑問が心の奥底から一分ごとに湧いてきました。シーン…と静まり返った教室内の雰囲気に耐えきれなくなった男の子が「クスっ…」と笑ってしまいました。それに気がついた担任の先生は、

 

「おい!何がおかしいんだ!お前らな、今頑張ってセリフを覚えているぐるぐるねこ男君の気持ちが分からんか!?静かにして!全力で協力しろぉ!」

 

って雄叫びを上げてその男の子を叱り上げました。おい、そもそもあんたがこんな無茶振りしたんだろ?育ち盛りの小学生がこんな狭い教室の中で30分間も黙ってじっとできるわけないやん!それ以前にこんな大量にある神様役のセリフを覚え切ることなんてできない!ああ神様なんて大嫌いだ!神様なんていなければこんなことにならなかったのに…と、一瞬思いましたが、そんなことは口が裂けても言えませんでした。しかし開演まで残り5分くらいを残して何とか神様のセリフをほぼ完全に覚え切りました。

 

しかしどうしても最後の「従者に支えられて舞台の中央付近まで歩き、そこで倒れた後に村人たちに向かって話す神様のセリフ」という難関に不安が残りました。ヤクザな担任の先生は「最後のセリフはカンペを作っておくから、お前たち(神様と従者)が倒れるところの床に貼っておくぞ」と言ってくれました。学校の先生が生徒の前で堂々とカンペを作るってどうなん?ってちょっとだけ思いましたが、そうでもしないと最後のクソ長いセリフをド忘れしてしまうリスクは高かったので「先生、カンペお願いします!」と頼んでしまったのでした。

 

 

 

そして一抹の不安の残し、僕たちの演劇が始まりました。僕は今では目も当てられない記憶力になってしまいましたが、子供の頃は記憶力がかなり良い方でした。その点を見越して担任の先生は僕に大役を与えたのかもしれません。劇の半ばくらいから僕(=付け焼き刃の神様)の出番です。朝のホームルームの30分くらいの時間で覚えたセリフは完璧にすらすらと出てきました。ちょっとアレンジするくらいの余裕もありました。この劇が終わったら担任の先生やクラスメートに「よくやった!さすがぐるぐるねこ男くんだ!」って褒め称えられる未来が見えてきました。すごく順調でした。そう、最後のシーンの直前までは…。

 

その最後のシーンですが、従者に抱えられた神様(=僕)が村人の前でガクッと倒れ込み、心配する村人たちを「いや、大丈夫だ!」と制しながら最後のとてもとてもありがたい(そしてクソ長い)セリフを喋り、そしてみんなで火の山を背にして踊りながら歌を歌うという流れの予定でした。僕は舞台裾から従者に支えられながら、念の為に担任の先生が作ったカンペが貼られている床を目指してヨタヨタと歩き始めました。しかし、しかしです。そのカンペが村人たちが集まっている場所から10cmくらいの場所に貼られていたのです。カンペを見るためにそんなに村人の近くで倒れてしまったら、僕(=付け焼き刃の神様)が「いや、大丈夫だ!」って村人を制するのが超不自然になってしまいます。

 

自分の目の前で高齢者が倒れたら、普通すぐに助けるだろって自分の中でツッコミを入れてしまいました。なんであんなところにカンペ貼るんだろ…いや待てよ、これは担任の先生、いやもしかしたら本当の神様からの試練ではないか?よしここはカンペなしで乗り切るしかないし、そもそも村人から5mくらい離れていないと神様のありがたい言葉も神聖さに欠けてしまうではないか!と思い、村人たちから5m(カンペからは4m90cm)離れた場所で僕は従者とともに倒れたのでした。すると従者が「えっ!(倒れる場所間違ってるじゃん)」っと驚いたのでした。その従者の心の声を聞いた瞬間、僕の頭の中は真っ白になり、倒れる直前まで覚えていた最後の長い長いセリフが…記憶の忘却の彼方に…。

 

気がつけば火の山を背にし、村人たちと肩を組んで歌を歌っていました。「火の山の神よ〜、我らの稲田に恵みの雨を〜、与えたまえ〜♪」その歌詞は今でも覚えています。でもどうやって最後のフィナーレに辿り着いたのか、これは本当に僕の記憶に残っていません。僕は自分がしたこの失敗談を全て子供に話しました。そして僕の失敗から何かを学び取らせてあげたかった子供には大爆笑されました。うちの奥さんも腹を抱えながら大爆笑していました。もし今の僕があの時の神様の中に降臨できるなら、まず従者の手を振り解いてスタスタとカンペのところまで歩き、そしてカンペを剥がして従者の位置に戻り、カンペを自分の足元に貼ってから従者と共に派手に倒れる、といったように笑いを狙ったりもできますが、子供の頃はとても純粋で正直で、そんな笑いの機転なんて思いつきもしなかったのです。

 

成功者から学ぶよりことも、失敗者から学ぶことの方が勉強になるはずです。この記事を読でくれた方が、奇跡的に何かを学び取っていただければ幸いです。三連休の最後にこんな話をつらつらと書いてしまうとは思いもよりませんでした。長文乱筆にて失礼致します。

 

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それではまた^ ^