僕は昆虫が大好きな少年でした。住んでいるところが山の中だったので、家の周りにはたくさんの昆虫がいました。カブトムシ、クワガタムシをはじめ、トンボやバッタなどなど、毎日のように昆虫を捕獲しては観察し、すぐにリリースすることもあれば、数日ほど飼って世話をしてみることもありました。夏休みなんて、毎朝4時くらいから母と一緒にカブトムシを捕まえに行ってました。大きな水槽でカブトムシを数十匹ほど飼っていましたが、当時はカブトムシなんてそこらじゅうに無限にました(初代スーパーマリオの100機アップくらいのペースで捕獲していました)。
昆虫の中でもチョウチョは特別に好きでした。近所の花畑の中でチョウチョだけはかなり丁寧に捕獲し、チョウチョに直接触れないように羽の模様や頭についた触覚、複眼や丸められた長い口をじっくり観察し、そしてモフモフしている腹部をちょっとだけ触ってみたりして、最後までチョウチョを傷つけないように慎重にリリースしていました。あの頃はチョウチョは見てるだけで幸せな気分になりました。あんなに美しい昆虫が、ふわふわと空中を舞っている姿を見つけるだけで興奮していました。
さすがにこの歳(40代です)になってチョウチョを追いかけるようなことはしていませんが、自分の家にチョウチョが飛んできてくれたら嬉しいなあという願いから、自宅を建てた時にレモンの木を一本だけ植えたのでした。最初小さかったレモンの木はどんどん成長し、数年前からレモンが(少しですが)収穫できるようになりました。そして毎年咲くレモンの花につられてチョウチョも飛んでくるようになったのです。ふとしたことから、レモンの木とチョウチョの関係って、なんだか人生みたいだなあって思うようになりました。
チョウチョが「夢」や「目標」で、レモンの木が「自分」です。目の前をフワフワと飛んでゆく美しいチョウチョ(夢や目標)を必死になって追いかけるのはすごく楽しいです。やりがいもあるし、達成できた時の高揚感はハンパないです。でも、レモンの木(自分)を着実に成長させて、チョウチョ(夢や目標)が自然と集まってくるようにするのもまた楽しいのでは?って、ふと思ったのです。すなわち、自己研鑽に努め、目の前の自分の仕事に全力で打ち込み、人として成長することに努力を費やした人は、夢や目標なんて自然と達成できるってことです。
しかしながら、どんなに努力して頑張ったとしても、自分の思い描いているような夢や目標を達成できないこともあります。むしろ、そちらの方が多いかもしれません。でも考えてみてください。たとえ夢や目標が達成できなくても、そこには「自己研鑽した自分」という存在が残っています。チョウチョが飛んで来なくても、毎年のように黄色い実をつけてくれるレモンの木が存在するように、「自己研鑽した自分」という最高の財産だけは確実に残ってくれます。
これは”ブログ”にも当てはまると思います。ブログの登録読者数やPV数、広告やアフィリエイトによる収益は、いわば「チョウチョ」です。美しく舞うチョウチョを追い続けるのもすごく楽しくてワクワクしますが、でもやっぱり「レモンの木」である自分のブログをちゃんと育てなければ、チョウチョは近寄ってこないと思います。そして、もしチョウチョ(読者数やPV数)が思うように集まってこなくても、そこにはレモンの木(自分の大好きなブログ)が確実に残ります。
そのブログが、もしかしたら将来たくさんのレモンの実をつけてくれるかもしれません。そしていつか大好きなチョウチョがたくさん集まってきてくれるかもしれません。僕はそんな気持ちでこのブログを続けています。何年もかけて、ゆっくりとレモンの木を育てるように^ ^
それではまた^ ^