自分の人生を変えてくれるうような「名言」というものは、何も昔の偉い人や成功者の言葉ばかりではありません。職場の同僚や仲の良い友人、そしてもしかしたら自分よりも年下の人から言われた言葉さえも、自分にとっては人生を変えるような「名言」になるかもしれません。
今回は、僕が中学生の頃の話をしようと思います。
中学生時代、僕は水泳部に所属していました。3年生の時にリレーで全国大会出場を決めました。その全国大会直前の合宿で、同じチームの友人に言われた”ある言葉”が、その後の僕の人生に大きな影響を与えてくれました。そんな昔話に少しだけお付き合いください。
お小遣い欲しさに始めた水泳
小学校4年生の時の話になりますが、母親に「小学校の水泳部に入ったら、月500円のお小遣いをあげる」と言われ、お小遣い欲しさに水泳を始めることになりました。
最初はプールの水に顔をつけるのも恐かった僕ですが、小学4年の夏から毎日毎日、真っ黒になるまで水泳の練習に打ち込んだおかげで、徐々に泳ぐ力がついてきました。
中学校に進学しても水泳部に入部し、3年生の時には県大会の400m自由形リレー(4人で100mずつ泳ぐリレー)で優勝し、全国大会に出場することができたのです。
全国大会に出場するリレーメンバーは、僕以外の3人は子供の頃からスイミングスクールに通っている同級生でした。スイミングスクールでは、冬も温水プールで練習できるため、僕よりも泳ぐスピードは断然速かったです。
僕は中学校のプールで練習し、他の3人はスイミングスクールで猛練習(しかも長時間)するといった毎日だったので、彼らと同じレベルで泳ぐことなんて絶対にできないって思っていました。
全国大会合宿で友人に言われた言葉
全国大会の本番が近くなり、県の代表選手を集めて強化合宿が行われることになりました。集まった選手はスイミングスクールに所属する人ばかりで、学校の水泳部で練習しているのは僕一人でした。僕はイルカの群れに迷い込んだ一匹の金魚のようでした。練習量も半端なく、毎日15kmくらい泳ぐ過酷な練習だったのです。
その過酷な練習メニューの中でも一番キツかったのが、決められた制限時間内に200mを続けて6本泳ぐというものでした。しかも1本目よりも2本目、2本目よりも3本目といったように後になるほどタイムを縮めなければ、もう一度最初からやり直しという鬼のような練習だったのです。
最初から全力で泳ぐと絶対に最後の6本目までタイムを縮めることができないと僕は思いました。何回も何回も最初からやり直しさせられる自分の姿しか浮かんできませんでした。そこで僕は同じコースで練習していた友人の一人に、誰にも聞こえないような小さな声で提案してみることにしました。
「こんなの絶対に無理だから、一本目はめちゃゆっくり泳ごう」
すると、いつも穏やかでニコニコしているので”ニコちゃん”というあだ名で呼ばれているその友人が、突然顔色を変えて、僕の方をキッ!と睨んできたのです。そしてニコちゃんは、その後の僕の人生を変えたかもしれない一言を、力いっぱい僕にぶつけてくれたのです。
「泳ぐのが一番遅いくせに、一番ラクしたらダメだろ!!」
その言葉を残し、コーチの合図とともにニコちゃんは勢いよくスタートを切りました。そして全力に近いレベルで泳ぎ始めたのです。
僕はニコちゃんの言葉にしばらく呆然としてしまいました。そして自分の言った言葉がすごく恥ずかしく思えてきたのです。そして僕が泳ぐ順番がやってきました。コーチの合図と共に、僕もニコちゃんの後を追いかけて、めいいっぱい泳ぎ始めたのでした。
約一週間、朝早くから夕方日が暮れるまで、ボロボロになるまで泳ぎ続けました。しかし全国大会本番では決勝レースに残ることができず、僕の水泳人生は終わったのです。
でも、この全国大会の合宿での友人の言葉は、その後の僕の人生に大きな影響を与えてくれたことは間違いないと思います。
さいごに
「泳ぐのが一番遅いくせに、一番ラクしたらダメだろ!!」
この言葉は僕の人生の節目節目で必ずといっていいほど思い出します。医学部を目指して勉強していた時は「自分が一番頭悪いんだから、一番勉強しないとダメだろ!!」と自分に言い聞かせながら勉強していたし、医師になって手術をするようになった時も「自分が一番手術が下手なんだから、一番練習しないとダメだろ!!」と思いながら、医局で毎日のように手術の練習をしていました。
人生で辛くなって挫けそうになった時は、友人のニコちゃんの言葉を思い出しながら頑張ってきました。水泳選手としては三流以下だったかもしれませんが、その後の人生では二流くらいには近づくことができたかもしれません。
僕だけの名言をこれからも大切にしていこうと思っています^ ^
それではまた^ ^
(※「ブッダの真理の言葉」は今回から終了します)