🌀ぐるぐるねこ男ブログ🌀

ぐるぐるねこと一緒に暮らしている男の雑記ブログです(月・木曜日に更新)

上には上があるし、僕には中毒性が無い

ぐるぐるねこ男

「上には上がある」ってことはいつも痛感します。資産運用をしてどんなにお金を増やしても、自分なんかよりずっと上の世界の人たちがいて、その上の世界にやっとこさ到達してもまだまだずっと上の人たちがいて…。当たり前と言えば当たり前の話なのですが、それにしても世の中にはすごい人たちがいるもんだなあって、途方に暮れてしまうことがあります。とても謙虚なお金持ちもいれば、本当にお金を持っているかどうかわからないお金持ちっぽく見える人(ニセモノ?)もいます。その中でも一番煩わしいのはこれみよがしにお金持ちであることを自慢している人たちです。

 

ロレックスなど高級な腕時計を手首に何本も巻いて写真を撮っていたり、自分の給与明細(月給200万円とか)を公表したり、数千万円もするような外車を何台も所有していたりなどなど…、見てて本当に品がないなあって呆れてしまいます。でも待てよ…自分も給与明細を公開したり、我が家の資産を公開したりして自慢っぽいことしてないか?ってことに、逆に気がつかせてもらえました。ああ、自分はなんてバカな恥ずかしいことをしてきたんだ…って、他人のバカなところを見て自分のバカさ加減を痛感しました。この場を借りてお詫び申し上げます。

 

このブログを始めた当初は、自分にとってのいわゆる「ログ」にしようと思い、記録も兼ねて記事を書き始めたのですが、今までの記事を振り返ってみて単なる資産自慢でしかないようなみっともない記事も結構あることにあらためて気がつきました。僕としては「資産運用の大切さ」みたいなものを伝えたかったのですが、読み手にとっては不快な気持ちしか湧いてこないような記事だったかもしれません。このブログを書くことでお金をもらっている訳では無いので「そんなの気にせず自由に書けばいいじゃん」と言えばそれまでなのですが、もう少し謙虚に文章を書いていこうかなあって反省しています。

 

あとは「自分の言葉で自分の伝えたいことを書けていない」とも思いました。あからさまにコピペしてきた文章を貼り付けたりしてないし、ましてや最近流行っている生成AIに文章を書かせている訳ではありませんが、自分の書いている文章がなんとかく「借りてきたメッセージ」のような気がしてなりません。僕が敬愛する村上春樹のエッセイ集である『雑文集』に以下のような一文がありました。

 

学校を出て以来殆どペンを取ったこともなかったので、初めのうち文章を書くのにひどく手間取った。フィッツジェラルドの「他人と違う何かを語りたければ、他人と違った言葉で語れ」という文句だけが僕の頼りだったけれど、そんなことが簡単に出来るわけはない。

引用:村上春樹『雑文集』56ページより

 

僕と同じ日本語を使っているにもかかわらず、村上春樹の小説やエッセイはとても魅力的で個性的で、しかも中毒性があって、時間の経過とともに「もう一度、村上春樹のあの小説が読みたいな」という気持ちが再燃することがよくあります。僕は自分の過去の記事なんてこれっぽっちも再読したいと思わないし、自分の文章に中毒性があるとは到底思えないです。でもあの村上春樹ですら小説を書きながら(そしてお金をもらいながら)作家として成長してきたということなので、僕もこんな感じで自問自答+四苦八苦しながらブログを書き続けていれば、いつか中毒性のある文章が書けるようになるのかなあって妄想してしまいます。

 

いずれにせよ、僕もそろそろ50歳代という大台に乗ろうとしているので、品がない文章や単なる(誰の役にも立たない)自慢話、マウントをとるような行為をやめていかなければなりません。読者の皆さんにいつまでも愛され、そして少しでも中毒性のあるブログ記事を書けるようになりたいものです。じゃあどうすれば良いのか?ってことですが、村上春樹的には「よく観察すること」なのだそうです。先ほどの『雑文集』のどこかにそんな文章が書かれていましたが、どこに書いてあったのか、本当にそんなこと書かれてあったのか、失念してしまいました。ちなみにですがこのエッセイ集の中の「牡蠣フライの話」(P30)は目からコロモ、いやウロコですのでぜひ一読を。

 

 

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それではまた^ ^