🌀ぐるぐるねこ男ブログ🌀

ぐるぐるねこと一緒に暮らしている男の雑記ブログです(毎週月曜日に更新)

ぐるぐるねこ男の「勉強」についての結論

ぐるぐるねこ男

 

受験シーズン真っ只中なので、今回は「勉強」についての僕なりの結論について書いてみようと思います。まず結論中の結論から申し上げるとすると、最も効果的で効率の良い勉強の仕方は「独学」だと断言します。小中学校で義務教育を受け、高校そして大学と進学し社会人となりましたが、今まで受けてきた学校教育や受験勉強の範囲の勉強に絞って振り返ってみると、僕自身が一番学力を伸ばせたのは全て「独学」をした時期でした。僕は学校が嫌いではなかったので、ちゃんと授業を受けてノートもきちんと書いていました。授業中によそ見したり、隠れて漫画を読んだりすることもありませんでした。勉強ができる同級生たちと競うように授業中に手を挙げていたし、先生の話はすごく熱心に聞いていました。でも、なぜか授業内容がほとんど頭に残らないことも多々あったのです。ひどい時なんて、僕のせいで数学の授業を1コマ(45分ほど)潰したことがあります。いつも熱心に授業を受けていたので、どの先生からも好感度は高かったと思います。悲劇が起きたのは高校数学の「確率・統計」の授業でした。仲の良かった数学の先生は、熱心に授業を受けている僕に何気なく「これ、どういう意味か説明してみてくれる?」と言いました。突然当てられてハッとした僕は席から立ちました。それまでずっと真面目に授業を受けてきていたのに、その問題が全く理解できていないことにその時初めて気がついたのです。「えっと…そのぉ…」としどろもどろで何とかその場を切り抜けようとする僕、そしてそんな僕を哀れに思ったのか、数学の先生は何とか僕に答えさせようと一生懸命に誘導してくれたのですが、僕の中から正解を導き出すことができませんでした。解法の糸口すら浮かんできませんでした。いつもの教科書の例題レベルの問題なのですが、僕は基本どころか問題に書かれている言葉の意味すらわかっていなくて、結局その授業1コマを僕のせいで潰してしまったのです。授業終了の合図が鳴り、苦笑いをしながら教室を出ていく先生、そして休み時間には周りからはため息のような声も聞こえてきました。僕は恥ずかしくて悔しくて、ずっと下を向いて数学の教科書を読むふりをしていました。高校3年生の時に「もしかしたら、僕って人の話が頭に残りにくい人間なのかもしれない」ということに気がついたのです。普通に(場合によっては人一倍熱心に)きちんと授業を受け、誰よりも丁寧にノートをとっていたのに、全然頭に残っていないという異常自体に気がつくことができたのでした。ちなみに僕のノートは同じクラスの友人に「君のノートがこの学年で一番きれいだ」といつも言われていました。学校を休んだクラスメイトにはよく「ノートを貸してほしい」と言われていました。でも、そこまでしても授業内容が身につかないのであれば、このままじゃマズイと思いました。そして勉強の「やり方」を根本から変えなければならないって思うようになったのです。聞いても書いてもダメなんだったらそんな勉強の仕方なんてやめてしまって、自分で教科書を読んで勉強するスタイルに変えてみようと思いました。それからはあまり授業を聞かずにできるだけ自分で教科書を読んで勉強するスタイルに試しに変えてみたのです。実はここが僕の勉強に関しての分岐点だったんじゃないかって思います。教科書を自ら積極的に読み進める勉強法に変えて、理系教科を中心にグングン成績が伸び始めました。高校2年生の頃、一時は学年最下位レベルまで落ちた理系教科の成績も、大学受験前には上位に食い込むことができるくらい上がってきたのです。その時に気がついたことは、耳から聞いただけでは「わかったつもりになっている自分」にしかなれていなかったということです。本当の意味での理解が全然できていなかったということです。その一方で、自分で主体的に教科書を読んで問題を解くという作業をしていると、わかっていないということに気がつけるし、理解できるまで先に進めなくなります。それが授業を受動的に受けているだけだと、わかっていなくても勝手に進んでいってしまうので、自分の本当の理解度に気がつかないことがあります。もちろん「耳学問の方が得意だ」という人もたくさんいますが、僕自身は目からの情報の方が圧倒的に頭に残りやすいってことがわかりました。ここで高校受験の時まで時間をさかのぼりますが、まわりの同級生の多くは中学3年生くらいになるとみんな塾通いをしていました。でも我が家には塾に通えるようなお金がなかったこともあり、学校でもらった問題集に向かって「独学」していました。塾の洗練された授業を受けて成績を伸ばす同級生もいましたが、僕は学校から配布されている「新研究」シリーズの問題集だけを一生懸命勉強していたのです。それでも教科ごとに学年1位になれることもあり、誰に頼ることなく独学で成績を上げることができました。大学(医学部)受験の時なんて、このブログで何度も書いたので詳しい話は割愛しますが、各教科ごとに「基本的でかつ全体を完全網羅しているような問題集」を1冊ずつ用意して、全ての問題を完璧に解けるようになるまで何度も何度も何度も何度も(しつこいくらい…笑)繰り返し勉強していました。アルバイトをしながら予備校には一応通っていましたが、授業中はずっと下を向いて自分の勉強に集中していました。勉強のペースを維持するためと、他の受験生の息遣いを感じるためだけに(自分で稼いだお金で)予備校に通っていました。もし僕の実家がある程度裕福で、高いお金を払ってもらって塾に通っていたとしたら、ひょっとしたら今頃こんなこと(休日にのんびりブログを書く)なんてしていなかったかもしれません。世界中を飛び回って大活躍するエリートビジネスマンになっていたかもしれませんが、僕は今の自分のポジションには満足しています。いずれにしても、学校の授業や受験レベルの勉強であれば、教科書を主体的に自分で読んで勉強し、自分の力で問題を解くという作業を”できるようになるまで何度も(←ココが一番大事)”繰り返せばよいだけだと断言します。それでは「社会に出てからの勉強はどうか?」ということについて書きますが、それまでと違って社会人になったら「答えがない問題」に取り組まなければなりません。学校の勉強のようにあらかじめ「答え」が一つだけ用意されているということは、まずありません。その答えのない問題を解くためには、僕個人的にはやっぱり本を読んで独学しつつ、本から学んだことを参考にして自分の頭で考えるのが一番だと思います。SNSやネットでサクッと調べたりすることもしますが、でもやっぱり本や新聞のような情報源と比較すると信憑性には大いに欠けると思っています。本のいいところは、普通に生活していたら絶対に会うことができないような人(外国の政治家、超有名人、歴史上の偉人などなど)から、その著書を通じて直接本人の考えや意見を学ぶことができるという一点に尽きます。情報が空間と時間を越えるってやつです。自分がわからないこと、理解を深めたいこと、新しく始めたいことなどは、いつも本を読んで独学してきました。情報商材やセミナーなど新しいことを学ぶコンテンツは巷に溢れかえっていますが、どうもその手のものに対してはかなり懐疑的です。そんなに高いお金払って勉強しなくても、図書館にいってそのジャンルの本をタダで借りて勉強できるじゃん!って思ってしまうのです。図書館で目ぼしい本をざっと読んで勉強し(ここまで無料)、じっくり読み込みたい本や手元にずっと置いておきたい本はあらためて購入して本棚に並べておきます(ここからは有料)。こうすれば一番役に立つ本をいつでも好きなタイミングで繰り返し読むことができるし、勉強し直して新しいことに気が付くチャンスも生まれます。海のものとも山のものともわからないような人のセミナーなんて1円ですら払いたくありません。自分で本を読んで独学するだけで、ブログ作成や簡単なプログラミング、株式投資はもちろんのこと、換気扇の交換やIHクッキングコンロの設置など、ほとんどのことは自分で独学してできるようになりました。あと、自分の収入に直結しないような資格は、お金を払ってまで無理に取得する必要はないと僕は思っています。株式投資を始めた時にFP(ファイナンシャルプランナー)の資格でも取ってみようかな?と思いました。さっそく図書館で参考書と問題集を借りてきて勉強し始めたのですが、一週間くらいしてあることに気がついたのです。それは「FPの資格なんてそもそも僕には必要ないんじゃないか?」ってことです。むしろFP検定に合格できるくらいの「知識」があれば何の問題もないということに気がつきました。その後も(暇だったので)勉強は継続し、FP3級の問題であればほぼ満点取れるくらい繰り返し勉強をしました。FP3級レベルであれば今すぐでも合格できる自信はありますが、資格よりも知識の方が意味があるんだってことに気がつくことができてホントよかったと思います。今回も長々と(原稿用紙10枚分くらい)書いてしまいましたが、最後に「勉強」についての結論を書いて終わりにしようと思います^ ^

 

【ぐるぐるねこ男の「勉強」についての結論】

・「独学」が最強

・同じ問題集を完璧に解けるまで何度も繰り返す(だけで受験はOK)

・「本」は空間と時間を越える最強の勉強ツール

・お金にならない資格は「知識」を身につけるだけで十分

 

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それではまた^ ^