🌀ぐるぐるねこ男ブログ🌀

ぐるぐるねこと一緒に暮らしている男の雑記ブログです。週2回(月・木)更新中🎵

卑屈で内向的で、ビクビクしていた小学生時代

ぐるぐるねこ男

 

小学生の頃、友人の家で浜田省吾の「J.BOY」を聴いたことがあります。浜田省吾の歌に合わせて、その友人も「ジェイボ〜イ♪」と楽しそうに歌っていました。しかし僕は浜田省吾の歌よりも、その友人の家にあるCDラジカセの方がすごく気になっていました。小学生の頃、僕の家にはCDラジカセがありませんでした。その代わりに普通のラジカセ(CD無し)はありました。僕が物心がついた頃から家にある唯一のラジカセです。保育園に通っていた頃は、そのラジカセで”昔話”のカセットテープを毎晩のように聴いていました。昼間は家で内職をする母がずっとラジオをかけていました。みんなで使いまわしてオンボロになったラジカセですが、僕が中学生になる頃までなんとか動いていました。いずれにせよ、子供の頃は友人の家にあるCDラジカセやスーパーファミコン、そしてパソコンなど、我が家にはないものが羨ましくて仕方ありませんでした。

 

最近、Amazon Musicのサブスクリプションサービスを利用するようになってから、大量のアルバムを聴きまくっています。その中でも一番お気に入りなのが、この浜田省吾のアルバムかもしれません。発売順に聴いていますが、少年から青年、そして大人になり父になっていくアルバムの中の男の子(浜田省吾自身?)の成長を感じとることができます。彼は恋愛をしたり、失恋したり、成功したり、失敗したり、僕もその当時はそんな感じだったなあって妙に腑に落ちることがあり、自分の日記を読み聞かされているような錯覚に陥ることもあります。そんなこんなで、自分が昔どんなことを考えて生きていたのかを(急に)振り返ってみたくなりました。今日は「小学生の頃の自分」が何を考えて生きていたのかを思い出しながら、書き綴っていこうかなあと思います。

 

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小学生の頃、僕はすでに劣等感の塊だったような気がします。それこそ物心がついた頃から「うちは借家の人間だから、大人しくしとかなければダメなの」と母に言われ続けていました。自分の持ち家ではなくて、家を借りてその地域に住んでいるというだけで、母は劣等感を感じていたのかもしれません。母の実家もすごく貧乏で、子供の頃に学校で自分だけ給食費が払えなかったので、弁当を持って小学校に通っていたと言っていました。靴が買えなくて、裸足で学校に行ったこともあるとかないとか。いずれにしても僕は「家の外や学校では、大人しくしておかなければならないんだ」と思い続けていたように記憶しています。

 

 

 

あまり目立たず、大人しく小学校生活を送り始めたのですが、小学一年生の一学期の通知表のせいで、僕はすごく目立つ存在になってしまいました。当時の通知表は各教科が△→◯→◎の三段階で評価されていたのですが、僕は一番最初の一学期の成績でオール◎をとってしまったのです。僕は通知表なんて誰が見てもいいものだと思っていたので、一緒のグループで登校していた先輩(と言っても小学生ですが)にも見せて、すごく驚かれてしまいました。みんなに驚かれたことがすごく嬉しかったのですが、家に帰ってそのことを母に話すと「なんでそんな(見せびらかすような)ことをしたの!」とひどく怒られてしまいました。そんなつもりは全く無かったのですが、母に怒られたことがすごくショックでした。それ以来、どんなにテストで良い成績をとっても、素直に自分のことを肯定的に考えることができなくなったような気がします。

 

また「借家に住むことは恥ずかしいことだ」と母から刷り込まれていたので、自分の家に友達を連れてくることは一度もありませんでした。「自分が住んでいる家は借家だから、友達に知られると恥ずかしい」って本気で思っていたからです。なので、高校を卒業するまで自宅に友人を連れてきたことが一度もありませんでした。とにかく家を見られることが恥ずかしいって本気で思っていたし、近所に住む友達にもできるだけ家に出入りするところを見られないように気をつけていました。地区の子ども会には(強制的に)参加させられていましたが、同じ地区で一緒に遊ぶ子は一人もいませんでした。陰で家の悪口を言われているような気がしていたので、自分から積極的に仲良くなりたいと思うことなんてありませんでした。

 

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小学生の頃の僕は、間違ったことが大嫌いでした。交通ルールや学校の決まりは完璧に守っていました。道にゴミやタバコを投げ捨てたりしている人を見ると、気分が悪くなっていました。学校生活でもきちんと掃除をしない人や、運動会の練習を真面目にしない人たちを見ていると、怒りの気持ちが湧いてきていました。しかし自分の中で怒っているだけで、その人たちを注意したりすることはありませんでした。やっぱり自分は「借家に住んでいる人間」なので、自分の意見を堂々とみんなに伝えるようなことはできませんでした。今、振り返ってみても、静かに黙っている時間が長かったような気がします。

 

 

 

でも僕は「いつか絶対にこんな人生、逆転したいな」って、心の奥底で思っていたような気がします。「お金持ちの子は”志”で仕事をし、貧しい家の子は”野心”で仕事をするようになる」みたいなことをどこかで聞きましたが、自分の過去を振り返ってみても、その通りだなあ…って思う節もあります。小学生の頃はとても卑屈で、内向的で、いろんなことに対してビクビクして生きていましたが、心のすごく奥底では静かに燃えていたのかもしれません。僕のことをバカにしたり、いじめてくるようなお金持ちの同級生が一人いたのですが、僕はその子に対してだけは「絶対にこいつだけには負けない」って強い気持ちを持っていました。

 

彼のランドセルは本革製で、会社社長の息子でした。家はすごい豪邸で、自分の部屋には自分専用のテレビがあるような家の子でした。僕は通学の途中、その同級生に会うのがすごく嫌でした。僕を見つけるとすぐに近寄ってきて、僕をバカにするような発言を繰り返していました。それがとても嫌だったので、どんなことを言われていたのか正確な記憶は残っていません。でも僕をバカにする彼の顔は今でも鮮明に思い出すことができます。「こいつだけには絶対に負けたくない」って思っていた彼が、今どうなったかかなんて、知る余地もありません。しかし、彼の父親が経営していた会社は、今では跡形もなくなっています。ポジティブな気持ちだけで今の自分が形成されたのではなくて、このようなネガティブな感情のおかげもあるのかもしれません。こうやって自分の過去や、自分の内面をあらためて覗いてみるのも、なんだか面白いものですね。書きたいことはもっともっとありますが、本日はこれくらいにしておきます^ ^

 

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それではまた^ ^