「小児がんの女の子【中編】」からの続き
突然のお別れ…そして最後のメッセージ
月日は流れ、大学病院での研修医生活も終盤を迎えました。日々の激務をこなしながら、次の研修病院への転勤の準備も進めていました。僕は指導医の先生が代わったのをきっかけに、夏以降は小児病棟へ行くことが一切なくなりました。
そしていよいよ転勤となる10月のことです。最初に僕の指導医をしてくれた先生が、モーニングカンファレンスの前に声をかけてきてくれました。
「4月に一緒に担当していた”まほちゃん”って子、覚えてる?」
「えっ、はい!もちろん覚えていますよ。あの小児がんで放射線治療した可愛らしい女の子ですよね?」
日々の激務に忙殺されていた僕は、その指導医の先生に”まほちゃん”の名前を突然言われて驚きました。そして僕は恐る恐る尋ねました。
「まほちゃんが…どうかしたのですか?」
すると指導医の先生は僕から目線を逸らし、カンファレンスのために準備されたプロジェクター用スクリーンの方に目を向けてこう答えたのです。
「あの子ね…実は先日亡くなったんだよ」
「えっ!!ほ、本当ですか!?」
「がんが大きくなったせいで歩けなくなってなあ…。再入院したんだけど治療は何もできなくて…一ヶ月くらい輸液しただけだよ。意識が無くなって最後は呼吸停止が来たんだけど、両親は延命を希望されなかったよ」
「・・・・・。」
あまりの突然の話に僕は言葉を失ってしまいました。まほちゃんが再入院していたことに気がついてあげることができていなかったのです。もしかしたらまほちゃんは、僕が診察に来るのを毎日楽しみに待っていてくれたかもしれません。髪の毛を二つにくくって、僕のためにおやつを準備して、ニコニコしながら心待ちにしてくれていたかもしれません。なぜなら前退院する時に「また遊ぼうね」って約束してたから…。
「残念だけど、小児がんだから仕方ないよな〜」
(仕方ないじゃ…ないよ…)
「最後は静かに眠るように逝ったよ」
(なんで一言教えてくれなかったんだよ…)
「あ、それでな、これこれ。まほちゃんのご両親から預かったんだ。ぜひお前に渡してほしいって」
そう言いながら、その指導医の先生は白衣のポケットから小さな封筒を取り出して、僕に手渡してくれました。白くて小さな封筒で、可愛いうさぎのキャラクターのシールが貼ってありました。モーニングカンファレンスが始まりそうになっていましたが、僕は自分の席について、机の下で誰にも見つからないようにその小さな封筒を開けてみました。そして中からはこんな手紙が出てきたのです。
それは忘れもしない、まほちゃんの字でした。研修医になったばかりの時に初めて担当医となり、ベッドサイドで一緒に折り紙をしたり、お絵かきをした・・・どんなつらい治療に対しても、いつも笑顔で頑張っていた、あの”まほちゃん”からの手紙でした。
全身に襲いかかってくるような強い寂しさが一気に込み上げてきました。まほちゃんは絶対に僕のことを毎日のように待ってくれていたんだ…。どんどん悪くなっていく意識の中で、頑張って僕に手紙を書いてくれたんだ…。
僕は震える手で、その手紙を恐る恐る開いてみました。そしてそこには、まほちゃんからの最後のメッセージが書かれていました。
まほちゃん…もう遅いよ…だって一緒に遊べないじゃないか…また遊ぼうって、最後に約束したのに…でも約束を果たせなかったのは僕の責任だよね…ごめん…本当に気づいてあげれなくてごめんなさい…。
僕はモーニングカンファレンス中、下を向いたままずっと泣いていました。まほちゃんは僕のために一通の手紙を残し、天国へと旅立っていたのです。
医師という仕事をしていると、2種類の「ありがとうございました」という感謝の言葉をいただきます。
一つは、病気を治してくれて「ありがとうございました」という感謝の言葉です。
そしてもう一つは、病気で亡くなったけど、一生懸命治療してくれて「ありがとうございました」という感謝の言葉です。
どちらも「ありがとうございました」という感謝の言葉なのに、患者さんを治すという意味では全く正反対の結果になります。
そして患者さんの中には、まほちゃんのように亡くなる時に看取ってあげることができない患者さんもいます。いろんな人生がありますが、わずか5歳で命を落としたまほちゃんのような子供たちを見ていると、いつも思い出す言葉があります。
あなたが虚しく過ごしたきょうという日は、
きのう死んでいったものが、
あれほど生きたいと願ったあした
『カシコギ』趙昌仁より
白血病の息子と、その子を必死で看病する父親との壮絶なストーリーを描いた『カシコギ』という作品の中の言葉です。僕たちがボ〜っと生きている「今日」という一日は、昨日亡くなった人が「どうしても生きたい」と思っていた一日と同じだという意味です。もし今日「死にたい」って思っている人がいるならば、それは昨日病気で亡くなった人にとって「生きたい」と強く願っていた一日と同じ日なのです。
もし、あの時まほちゃんが小児がんで亡くなっていなければ、今頃20歳を越えていたはずです。今もし生きていたら、まほちゃんの目には一体どんな世界が映っていたんだろうなあ…ってこのブログを書きながら、そんな思いに浸ってしまいます。生きたくても、生きることができない人はたくさんいます。僕たちは”今日”という一日を、もっともっと大切に生きなければだめですね。まほちゃん、大切なことを教えてくれてありがとう。あらためてご冥福をお祈りします。
*****
<本日のブッダの言葉>
水道をつくる人は水をみちびき、矢をつくる人は矢を矯め、大工は木材を矯め、慎み深い人々は自己をととのえる。
『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村 元 訳より
それではまた^ ^